『孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―』を見た感想と考察
こんにちは
とあることがきっかけで2017年に行われた舞台『孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―』の配信を見たのでその感想と自分なりの考察を書いていこうと思います。
舞台の内容と漫画『マチネとソワレ』のネタバレを含みます。
また、原作未読かつ、本公演のパンフレットやインタビュー記事なども未読の状態です。
舞台をみたきっかけ
大須賀めぐみ先生の漫画『マチネとソワレ』の中で主人公たちが『孤島の鬼』を演じる場面があります。
そこで『孤島の鬼』が地獄みたいな作品なんだな~~と思ったのですが、
そんな作品を田中涼星さんが諸戸役で出演していると知り、
見てみたい以外の感情を失ったので見ることにしました。
考察
順番的には先に感想を書くべきかと思いましたが、
私がこの舞台をどう解釈したかがベースにある状態での感想なので、先に考察から書きます。
考察の主軸としては箕浦が感じた「恐ろしい恐怖」とは何かという点です。
『マチネとソワレ』における解釈
- 箕浦は非日常を渇望している。周囲から一目置かれている存在である箕浦に好意を寄せられていること、奇妙な事件に巻き込まれていることでその欲望を満たしている。
- 財宝に狂う丈五郎の姿が自分の非日常を渇望する姿とかぶる。
- これが箕浦の感じた「恐ろしい恐怖」である
とされています。
また、諸戸については
とされています。
本舞台の解釈は、『マチネとソワレ』との解釈とは異なりますが、「諸戸に襲われたこと」でもないと感じました。
本舞台における解釈
本舞台の特徴として箕浦役が2人いることがあげられると思います。
舞台上にどちらか1人しか存在していない というわけではなく、2人同時に存在している場合もあります。
その場合、1人はその場にいる人物、もう1人は語り部として存在しています。
語り部は基本的には場面の進行にはかかわらず、ほかの登場人物(諸戸、深山木など)とは目が合いません。
冒頭で「恐ろしい恐怖を感じたため白髪になった」と言っているため、登場人物としての箕浦が黒髪箕浦→白髪箕浦になったタイミングが「恐ろしい恐怖」を感じたタイミングだと考えました。
終盤の洞窟の場面の大筋は以下の通りです。
①水が洞窟に満ちてくる
②洞窟からは出られないと感じ、箕浦に想いをぶつける諸戸
③自身の父、丈五郎の異常さを告白する諸戸
④逃げた箕浦を捕まえ、襲おうとする諸戸
⑤使用人に助けれられる。自分が丈五郎の子ではないと聞く諸戸
このことから私は箕浦が感じた「恐ろしい恐怖」とは
異常な思考を持つ丈五郎の血を引く諸戸から執着されていること
ではないかと考えました。
人工的にカタワを生み出し、正常な人間への復讐を考える丈五郎。
そんな悪魔のような男を父とする諸戸から嫉妬されるほど執着されている箕浦。
④の場面で諸戸から告白されますが、はっきりと「恋愛対象とするには吐き気を催す、この憎悪はどうすることもできない」と言っています。
最初に見たときは初代を殺させ、秀ちゃんを人工的にカタワ者にした丈五郎の血を引く男だから憎んでいる と感じました。
もう一度見たときは
自分の欲(箕浦に受け入れてもらいたい)を生還することよりも優先する姿が丈五郎の自分の欲を何としても満たそうとする執念とかぶったのかな とも感じました。
諸戸が丈五郎の実の子ではないと聞いた後、箕浦から諸戸に話しかけています。
このため、箕浦が嫌悪していたのは諸戸そのものではなく、丈五郎の血を引く諸戸だと考えました。
(そう考えると洞窟から脱出した後も諸戸⇔箕浦で手紙を送りあっていたこと、病院を諸戸に任せようとしたことも腑に落ちました)
箕浦が諸戸の死を知った場面
手紙を読み終わった後、背後に諸戸が立ち、白髪箕浦に手を差し伸べています。
諸戸の顔が影になっていて見えないこと、後ろに光がさしていることから天の迎えを連想させます。
それを黒髪箕浦が手を差し伸べるのをやめさせ、二人で歩いていきます。
その後、憎悪とも悲しみとも違う表情になる白髪箕浦
この時の箕浦の心情としては最期まで自分を愛した諸戸への最初で最後の応答だと思いました。
最期まで想ってくれたことへの感謝とそれに応えられなかった申し訳なさかなと。
人によって解釈が分かれそうです。
以上が自分なりの考察になります。
感想
考察部分でほとんど感想も書いてしまった気がするのであまり書くことがありません。
再度見返して思うことがあれば追記するかもしれません。
最後に
田中涼星さんの役の幅が広すぎてひっくり返りました。
人間味がありつつ狂気に取りつかれた男、諸戸道雄、サイコーでした